「今日、友人に連れられて釣りに入った川。 明らかに隠し沢だった……。 」普段、人が滅多に出会うことのない場所へ行ったある釣り人の不思議な体験が、Twitterで話題になっている。
「隠し沢」とは、江戸時代に少なくとも3度の大飢饉を経験した東北地方の先人が人為的に作った「天然の食料庫」。
友人と「明らかな隠し沢」に入ったというその情景描写に、「心を打たれた」「美しい描写」と賞賛の声が上がっている。
「隠し沢」岩手県の山中で不思議な体験をした釣り人の話
Twitterで貴重な体験を綴ったのはすぽんちゅ(@OGmk23797)さん。
友人に連れられある沢に釣りに出かけた時の様子を連投で紹介しているが、その体験談によれば、隠し沢と疑われるその沢は、明らかに人為的に作られており、木々、植生、川魚などの資源が豊富にあった。またこれらは全て有事の時のために隠されているようだ、とのこと。
説明の一語一語が「非現実的な光景」なのに「その美しい情景」をその場で体験しているような臨場感が伝わってくる。
今日、友人に連れられて釣りに入った川。
明らかに隠し沢だった……。
隠し沢とは、岩手県によくある、飢饉の時の為に食糧庫として隠しておく沢だ。
もう明らかに明らかな感じで隠し沢だった。物凄く面白い体験だったから、貴重な民俗学の記録としてちょっとずつ様子を書いていきたい。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢の様子①】
まず、この沢が「隠し沢」であろうと確信するに至った点がふたつある。
1.地図に沢の名前が乗ってない
2.水源の森が「○○共有山」みたいな名前の山この事を説明してる、地域おこしのためと思われる看板が沢の入口にあったのだが、沢の名前が書いてないのには驚いた。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢②】
その沢はひと跨ぎほどの沢に合流する、切ないほどに小さな沢だった。洗面器程度の水溜まりが連続するだけの、要するにちょっと凄い湧き水だった。
友人が「ここが例の岩魚天国やで」と言った時は、「ここ行くんか?」と思った程、なんというか、入る価値もないように見える沢だった。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢③】
そんで友人と沢に入ったのだが、早速奇妙なことがあった。
沢と並行して、ずーっと踏み分け道があるのだ。
それは所謂林道というような生易しいものではなく、人ひとりが歩けるだけの道だった。
だが、何故かその道は度切れることなく続き、しかも自然石の石垣で補強されていた。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢④】
さらに、その踏み分け道の両脇には、サワグルミの木が並木道のようにずーっとずーっと山奥まで植えられていた。
そこだけ、潅木も、雑木もない。明らかに人為的に植えられたと思われるクルミの古木の並木だった。
ちょっとしたクルミ畑だった。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑤】
一方の沢はと言うと、
一旦沢に入って最初の岩を越えた途端、急に森が広くなり、奇妙に整備されたような溪相になった。
普通、あんな谷なら灌木や笹なんかが生い茂ってるもんだけど、川辺は明らかに管理されていた。
そして、入口付近がちょっとカムフラージュされていたと思われる。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑦】
あんまりに岩魚がいるので「もうめんどくせぇ、素手でも取れるんじゃない?」と竿を放り出して岩陰に手を突っ込むと、僅かな隙間に二〜三匹のイワナが寿司詰め。
私はここの沢で、素手で岩魚を3匹捕まえた。
正直めちゃくちゃ楽しかった。おしっこ漏らした。
勿論全リリース。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑧】
ここで決定的な事件が起こる。
つり上がってゆくと、ものすごーく細長くて頼りない滝が現れた。
その滝は、10メートル以上の落差のある岩肌を、消火栓のホース程度の水がチョロチョロ落ちてゆく感じだった。
「これが魚止めだなぁ」と思っていると友人が、
「いや上にもいるよ」と。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
【隠し沢⑨】
結論から言うと、魚止めの滝の上にも全く同じ密度で岩魚がごちゃごちゃいた。
私は「あ、これは誰かが岩魚を放流したんや」と察した。
昔の山仕事していた人たちは、暇な時に岩魚を釣っては魚止めの上に放流し、いざという時には捕まえて食べたという。
隠し沢確定だと思った。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
すぽんちゅ(@OGmk23797)さんは、「隠し沢は地図に載っていない」「入り口はカムフラージュされている」「水源の奥地まで徹底的に整備され、食糧となる生き物や植物の資源が豊富にあった」「魚止めの上にも魚の資源が豊富だった」といった様子から、江戸時代の大飢饉を教訓に作られた人工的な食料庫だと断定している。
事実、この場所が発見された岩手県では江戸時代、16年に一度は飢饉が訪れ、さらに年貢の取り立てが厳しかったことから盛岡藩総人口30万人の4分の1、約7万人が餓死し、領民は生きるために動植物を食べ尽くしたという歴史も残されている。
当時の領民がこの先飢えないことを願い後世へ残した文化だとすれば感慨深い。
隠し沢は「村の共有物」荒らさないように注意
魚も植物も資源の豊富な場所に遭遇したすぽんちゅ(@OGmk23797)さん。
捕まえた魚などは全て逃し、何も取らずに帰宅したそう。その理由はこの「隠し沢」の意味を理解していたほか、現在でも管理者がいることも知っていたため。
部外者が無闇に場を荒らすことは止めるよう、忠告もしている。
まとめるとして、
岩手県は山背という冷涼な風の吹き付ける山地であり、暴政が続いた江戸時代には大量の餓死者を出した。
特に被害が酷かった天明の大飢饉では、実に藩人口の1/4が死に絶えたと言われる。→
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
そんな中、飢饉の影響を受けやすかった岩手の山峡の人々は、生き残る道を山に求めた。
そんな集落の共通財産が「隠し沢」という食料庫であり、その存在は平時は隠され、人の立ち入りも村の掟で制限されていた。
それが部外者であってもだ。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
つまり私は「村の人間でもないのに勝手にやってきて、村の共有財産である隠し沢を荒らした厄介な余所者」である。
皆さん、釣りする時は、あまりにやりすぎると帰りに車のタイヤをパンクさせられますよ。
— すぽんちゅ (@OGmk23797) June 28, 2020
こうしたすぽんちゅ(@OGmk23797)さんの行動に、コメントには「その知識を持っていて、なおかつ荒らさずに帰る貴方の快さに胸を打たれました。
貴重なお話を見れて良かったです」といった感謝の声が上がった。
また「その場所はこれからも豊かに、環境の変化に侵される事の無い事を願います。」と、場所は公表しないよう求める声も相次いだ。
ネットの反応
地元の漁業組合がしっかりと見張っているので、一見さんはご注意。
その点、北海道はまさに自由の新天地ですが、もれなく熊がついてきます。— 星川 真夜(しんや) (@asitafukukazen1) June 28, 2020
その知識を持っていて、なおかつ荒らさずに帰る貴方の快さに胸を打たれました。
貴重なお話を見れて良かったです( •ᴗ• )— ひごぴっぴex (@hyyk2990) June 28, 2020
読むだけで映像が頭を過ぎる様な
素晴らしい文章でした😊
「隠れ沢」初めて聞きます!
その場所はこれからも豊かに、環境の変化に侵される事の無い事を願います。
(“教えて欲しい”と呟かれている方もいますがどうか書かないで欲しいです。分かる方には分かってしまいそう)(偉そうにすみません💦)— Ao (@helloending75) June 28, 2020
先日、東北の飢饉の壮絶な様子を読んだところでしたので大変興味深く読ませて頂きました。
— ****☆☆☆☆ (@heureux__lune) June 28, 2020