大谷三穂1等海佐の経歴やプロフィールは?イージス艦「みょうこう」初の女性艦長が話題に

海上自衛隊舞鶴基地(京都府舞鶴市)で2日、イージス艦の初めての女性艦長として、大谷三穂1等海佐(48)が「みょうこう」艦長に着任したことが話題になっています。

大谷美穂1等海佐は京都・海自舞鶴基地で着任式にあたり「迷わず職務にまい進してもらいたい」などとと訓示。「みょうこう」は乗員約300人で、弾道ミサイルの迎撃を担います。

大谷美穂1等海佐の経歴や出身校についてまとめました。

大谷三穂1等海佐の経歴やプロフと出身校は?

大谷三穂1等海佐の経歴(略歴)は以下の通り。

龍谷大学文学部を中退し、1992年4月、女子1期生として防衛大学に入学。

海上自衛隊に配属され、最初の勤務は練習艦「なつぐも」。

2009~2011年まで指導教官で教鞭を取ったほか勤務海上幕僚監部では制度班として女性自衛官の勤務にかかわる施策を担当。

2011年4月、当時練習艦だった「あさぎり」の副長に就任。

2012年3月に女性初の護衛艦「副長(ナンバー2)」となる。

2013年3月に練習艦「しまゆき」艦長に就任。海上自衛隊女性初の練習艦艦長に。

2016年2月護衛艦「やまぎり」艦長に就任、女性初の護衛艦艦長に。

2017年7月1日、1等海佐に昇任

2018年3月23日、海幕厚生課厚生班長に。

2019年12月2日女性艦長として初めてイージス艦「みょうこう (護衛艦)」の艦長に着任。

出典:産経新聞

大谷美穂1等海佐プロフィール

出典:日本経済新聞

氏名:大谷 三穂(おおたに みほ)

生年月日:1971年(昭和46年)5月28日生まれ(48歳)

学歴:龍谷大学文学部を中退・防衛大学女性1期生卒業

家庭:同期の男性と30歳の時に結婚(その後8年目で離婚)・翌年長女を出産。実家の祖父母の元で育ち、大谷さんが戻ることができるのは年に3~4回、1~2日のみだった。「艦長になるため」娘にも伝え納得してもらうも、愛娘と涙の再開と別れを繰り返し「本当に私たち親子はこれでいいのかと自問を繰り返した」ことも(出典:出典:SankeiBiz)

一般大学(龍谷大学)2年生のときに中退し、「女性らしく育ってほしい」と望んだ両親の反対を押し切り防大に進んだ。なぜか-。

「親のスネをかじっての大学生活は一人暮らしで楽しく、ぬるま湯。でも、テレビの向こうでは戦争という別世界だった。こんなことで良いのかと、衝撃を受けた。以前より、国に奉仕する仕事をしたかったのは確かだが、湾岸戦争の映像で愛国心を覚えた

ー30歳で結婚し、32歳で(一人)娘を出産する。

「どうしようかと思った。けれども、艦長への夢を諦められなかった」

艦長を目指し、訓練・座学に明け暮れる毎日。娘を大阪府内の実家に預け、年に3~4回、1~2日帰省して顔を見た。おばあちゃん子、おじいちゃん子の悪い方の面が出るのではと心配する大谷さんに、母親は「肝心なときには、やっぱりママ、ママなのよ」となぐさめたが「悲しかった」。

「こんなに背が高かった? 毎日一緒にいられぬ境遇とは、こういうことなの…。いろいろな思いが駆け巡り、本当に私たち親子はこれでいいのかと自問を繰り返した

涙の再会と別れの繰り返し。悩むのはまな娘のこと。でも、癒やされるのもまな娘だった。出典:SankeiBiz

イージス艦「みょうこう」での職務とは

イージス艦「みょうこう」は乗員約300人で、弾道ミサイルの迎撃を担う「国の命を預かる」前線に位置。日米共同訓練でも使われるなど、国防の要となる戦艦とも言えます。

艦長の職務については詳しい情報は得られなかったものの、男性と同じだけの体力を求められ、さらに300名近い部下を抱え指揮していくのが「みょうこう」の艦長。これまで以上に責務は重いものになると見られます。

2016年の「やまぎり」艦長就任時には、220人もの部下の顔/名前/配置を、1カ月強で覚えており、艦内の重鎮に対しても毅然とした態度で臨み、風通しがよく、部下が信頼できる職場環境のために奔走していました。

女性初の護衛艦艦長は荷が重く、失敗すれば、後に続く女性自衛艦に迷惑がかかる」と、緊張の連続だ。

「自ら部下の懐に入っていく。昔の艦長はドーンと座って、部下は艦長の背中を見て判断し、育っていった。今の若い人は、情報社会の中で多様な価値観を持つ。こっちに向けと言っても、向かぬこともある。話題を合わせる積極性も必要だ。例えば、私自身ゲームはしなくても『どんなゲームをするの?』などと、話しかけています」

2月下旬の艦長就任以来、220人もの部下の顔/名前/配置を、1カ月強で覚えたのも《一源三流》に忠実だった証左に違いあるまい。 出典:SankeiBiz

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