佐渡島の前方後円墳いつ見られる?「相当栄えていたかも」ロマンある歴史的発見に歓喜

新潟県・佐渡島で、ついに前方後円墳が初めて発見されました!

「だれも気付かなかった佐渡島にも前方後円墳が!」と、歴史ファンたちはざわつき中。
この盛り上がりにはこんな理由があります。

「相当栄えていたかも」ロマンある歴史的発見に歓喜

場所は佐渡市の加茂湖周辺。見つかったのは、古墳時代前期(4世紀ごろ)に築かれたとみられる前方後円墳2基と、円墳4基。前方後円墳はいずれも全長約30メートル、後円部の高さは2メートル前後とのことです。

佐渡市の加茂湖周辺の丘陵に、古墳時代前期(4世紀)の築造とみられる前方後円墳が2基あることが24日、分かった。佐渡市での前方後円墳の発見は初めて。2020年に発見され、日本海側沿岸部で最北だった「角田浜妙光寺山古墳」(新潟市西蒲区)よりも北に位置する。専門家は「大和政権との強固な関係がうかがえる発見だ」としている。

県内の研究者らでつくる「文化財保存新潟県協議会」(会長・橋本博文新潟大名誉教授)が24日、発表した。前方後円墳2基はともに全長約30メートルの中小規模で、高さは後円部が約2メートル、前方部が約1メートル。両津郷土博物館(秋津)の周辺にあり=地図参照=、円墳4基も確認された。  会員の石崎悠人(ひろと)さん(37)=新潟市西区=が、最新の地図情報をパソコンで画像処理して墳形の起伏を確認し、21日に橋本会長ら会員4人で現地調査した。橋本会長は、水上交通の有力者を埋葬した可能性があると指摘。「当時の加茂湖は天然の良港で、東北に勢力を伸ばそうとする大和政権にとっても重視される存在だったのだろう」と推測した。  これまで確認されている佐渡最古の古墳は、台ケ鼻(だいがはな)古墳(二見)の6世紀で、今回の古墳は1世紀以上古い。前方後円墳は大和政権が最上級クラスに位置づけた墳形で、特に重視した地方の有力者にも造営を認めたとされる。県内では妙高市にある帆立貝形の観音平1号墳を含めて9基が確認されており、今回は10、11基目となる。

出典:新潟日報

そもそも前方後円墳って?

前方後円墳は、古墳時代(3世紀後半〜7世紀)に、主にヤマト王権(大和政権)の支配や影響を示すシンボルとされていました。
これまでは、佐渡のような日本海側の離島にまでヤマトの影響が及んでいたかは、はっきりしていませんでした。

つまり――
今回の発見は「佐渡もヤマト政権の勢力圏だった可能性」が高まった、超重要な証拠というわけです!

なぜ佐渡島に? 加茂湖の“天然の良港”活躍していたのかも

佐渡島といえば、日本海側でも有数の自然豊かな土地。
今回発見された古墳は、加茂湖のそば。
この湖は、古代から天然の良港として知られ、船での交通の要衝だったと考えられています。

実際、日本海側の隠岐諸島(島根県)でも前方後円墳が見つかっており、佐渡もヤマト政権が押さえておきたい重要拠点だった可能性が高いのです。

佐渡島の前方後円墳いつ見られる?今後の調査にも期待

今回の前方後円墳発見は、
「日本海をめぐる古代ネットワークが想像以上に広かった」
「文化や情報が意外なほど行き交っていた」
そんなロマンを私たちに感じさせてくれます。

現在、現地はまだ山林に覆われており、観光整備はこれから。

今回の発見で、古代の佐渡が「ただの離島」ではなく、日本列島を結ぶ重要な拠点であり、当時の日本の中心地、奈良に匹敵するほどの発展があったかもしれないという新たなストーリーが生まれました。

でも、今後見学できるようになったら、また一つ「佐渡に行きたい理由」が増えそうですね!