飯塚幸三のWiki削除の理由は?事故の記述を削除で憤りの声も

昨年4月に起きた池袋事故の加害者で、元通商産業省技官の飯塚幸三氏のWikipediaページが13日までに大幅に改変され、池袋事故に関連する記載が全て削除されていたことがネットで物議を呼んでいます。

同氏に深く関連する池袋事故に関した数々の発言、行動が記載されていた部分が全て削除されたことから「誹謗中傷から当事者を守るため」の公平性と言えるのか、「保身のため」の不公平な現実と言えるのか、意見は別れつつも憤る声が上がりました。

飯塚幸三のWikipedia編集に「隠蔽や忖度」疑惑

大幅な記述内容の改変が話題となったのが今月13日。はちま寄稿Share News Japanが記事にしたところ、Twitterなどで拡散の動きもみられました。

その改変後のページは以下の通り。

目次は本人の経歴・功績ページに終始しており、「池袋事故」という語句そのものが削除

現在はロックがかけられ、閲覧者が編集できない状態。記事の冒頭には「2021年3月7日まで拡張承認された利用者以外の編集は禁止されています」という注意書きなど、プライバシー保護の警告が出るなど、「これまでの記事はプライバシーを侵害されていた」ことを示す様な文言も並びます。

出典:wikipedia

この改変以前の記事についてはキャプチャが残されていませんが、記述についてはEnpediaに記載されている様な「池袋事故」に関連する詳細な行動履歴などがまとめられていました。

「隠蔽だ」事故の記述削除で憤りの声も

この改編によって「池袋事故」の文言そのものが削除されたプロフィールページには「功労者」としての光の部分のみが記載され、ネットでは「証拠隠滅の恐れがないとして」事故直後の保釈理由と矛盾するとして

<<明らかに保身のための証拠隠滅>>

<<何が「証拠隠滅・逃亡の可能性がないから逮捕しない」だよ。全力で消してんじゃねえか。>>

など、非難する声が上がっています。

飯塚幸三のWikipedia編集の理由に「明確なルール」

Wikipediaの編集は一般的には誰もが参加できるスタイルになっており、飯塚幸三氏のプロフィールにおいても自由な編集が可能でした。

しかしwikipedia管理者の間では池袋事故以来、同氏のページに対する読み仮名を変える、偏向的な書き方を行う、などの同氏のプロフィールの「荒らし」行為を問題視していたことを明かしています。

ノートによれば、これまでに短期間の保護措置・保護解除を行ってきたものの、結果的に荒らしはなくならず今回の様な長期的な全保護が必要となった経緯が記されています。

さらに、この対応が元来のWikipediaのルールに基づいた措置であり、「上級国民だから」といった忖度、証拠隠滅とは無関係であることにも言及しています。

下記はWikipediaのノートに記された削除対象のルールに言及した管理人のコメント。

「下記に、ウィキペディア日本語版で伝統的に削除されている例を挙げます。〔中略〕犯罪の被疑者・被告人・元被告人(受刑者・死刑囚など)の実名。」「被害者の感情などからも風化させてはなら」ないとお考えであればご自身のブログなどでやってください。

(中略)どうもTwitterでこの削除依頼が騒がれているようですが、まず本件は過去の履歴の一部を削除するものであり、記事そのものの削除ではありません。また、加害者がどうのこうのではなく、そもそも被疑者の名前は、たとえ報道されていても書けば原則アウトです(同じく削除依頼が頻発した例とすれば全日空61便ハイジャック事件など)。これを掲載したいのなら削除の方針自体を改正しなければならないでしょう(無論、メリットがデメリットを上回らなければ論外ですし、私も改正すべきとは特に考えません)

出典:削除依頼/東池袋自動車暴走死傷事故

この様に、今回の削除や編集に関しても複数の管理者の合意のもと行われた様。

結果的に事故記述の削除・改変で憶測が流れた「忖度」「多額の現金でもみ消し」といったこともなく、Wikiの伝統的なルールに基づき公平な対応であったことが明確に示されており、「事故を風化させたくない」という人々からは憤りの声も聞かれます。

とはいえ、絶えない荒らしや長期間のロックが掛けられることは異例とみられる措置。

SNSの反応からも、それだけ多くの人々が同氏を見る目は依然として厳しいものであることを物語っています。