「令和の時代は女尊男卑だ」などともいわれるほど、女性の社会進出も一昔前よりも進み、男女の格差をなくそうとジェンダーフリーという言葉も浸透しつつある昨今。一方で今年3月、フジテレビ組織関係者や中居正広氏らによる女子アナを「絶対服従」させる性的消費の実態が発覚し話題になりました。
こうした中、SNS上ではある男性が「女性蔑視をしてしまう原因」を自身の視点で文章化したものが公開され「ここまで言語化できるのがすごい」と反響を与えています。
「女はずるい・甘えている」男が妬みたくなる理由は・・ある男性の私見
話題になっていたのは、個人アカウントの三好さん(@miyoshiiii)のお便り欄に投稿された、ある男性の私見。フジテレビの組織による女性蔑視やパワーハラスメント・セクシャルハラスメント問題に触れた投稿を受けて、個人的に気づいた「こうした女性蔑視の根底にある男性の考え方」を投稿したのだといいます。
おお… これは大袈裟でなく、言葉通りの意味で、このアカウントを作って発言をしてきた中で一番嬉しい出来事かもしれません…
— 三好 (@miyoshiiii) April 1, 2025
なんというか、元々蔑視的な感覚がなかったわけではなく、過去には女性蔑視が当たり前の感覚…
(残り2377文字)#mond_miyoshiiiihttps://t.co/3ZNL4c38Qj
男性の意見を要約すると、つぎのような話の流れとなっています。
- 女性への偏見の自覚と家庭環境の影響 無意識に女性を下に見る感覚があり、それは支配的な父と犠牲を強いられた母を見て育った影響だったと気づく。
- 母の犠牲を直視することへの抵抗 母の愛が「無償」でなかったと認めることで、自分の価値が揺らぐのを恐れ、現実を否定していた。
- ゆがんだ愛情観とその反省 恋愛でも「犠牲=愛」と考え、性欲を押し付けていたが、それが一方的で相手の尊重にはなっていなかったと反省。
- 変化の可能性と希望 自分自身の変化を通じて、男性の価値観は変えられると実感。女性のためだけでなく、男性自身の幸せのためにも意識改革が必要だと感じている。
男性によると、自身の幼少期に見てきた母の姿や得てきた知見からこれまでは女性が男性に犠牲を払うことや従順であることを愛情だと錯誤してきたこと、それが女性にとっての幸せであるという考え方が、女性蔑視の一因だと考えるそうです。男性自身の中にもそうした気持ちが悪気なく存在し、女性の犠牲を正当化しないと、自分が不幸であると思い込んでしまう。同様の空気の中で育った多くの男性は同じ気持ちなのではないか、といいます。
これを解決していくには、女性に対する理想と現実に向き合い、自分自身の価値を他社に依存させることをやめることが大切だと考えた男性。
本文は下記に引用しています。
はじめまして。もうすぐ三十路の男です。
嫌知らずで三好さんを知り、以降拝見させていただいています。
学生時代の自分は意図的な女性叩きはしてはいないものの、心の何処かに(女はずるい、女は甘えている、これだから女は、どうせ女は)という気持ちがありました。
それが変わるきっかけになったのが、友人が「日本人女はマザコンを嫌うが、どうせイケメンのイタリア人のマザコンなら肯定する」というような発言です。
僕も(そうだろうなwww)などと思っていて、軽い気持ちで調べてみたところ、日本人女性のイケメンマザコンイタリア人に対する感情等はわかりませんでしたが、何故イタリアの母親がマザコン息子を育ててしまうのかについて、多少の知識を得ることが出来ました。
(現在は変わったようですが)イタリアでは伝統的にカトリックが強く離婚を許さなかったため、夫からどんなに酷い目にあわされていても女性は逃げられない。更にイタリア人の男尊女卑、女性が犠牲にならざるを得なかった社会。それの捌け口として母親は息子を溺愛し、母親なしには居られない存在にしてしまう負のループがあるようでした。
恥を忍んで言うと、最初は(じゃあ結局女が悪いんだな)と思いました。そう育てているのが女なんだから、女の責任だと。
それはそう思いたい理由が僕の中にあったからです。僕の母親が家族のための犠牲になって、苦痛を堪えて子育てしていたと思いたくなかったんです。
でも現実には明らかに犠牲が存在していました。子育ては大変なものだとか、苦労は付き物だとか、そんなレベルではない犠牲です。
僕の父は仕事も趣味も休日も友人関係も実家も好きに堪能しながら、母にはそれらを一切許していませんでした。妻なら母親ならそれらを諦めるべきだという考えがあり、それら意外に関しても、自分の支配に背くと暴力に訴えて母を黙らせる男でした。
それを見ながら(お母さん可哀想だな)と思う一方で(これが普通で、女はこうであるべき、女にはこうするべきなんだな)とも思ってしまっていました。
そして母が犠牲を強いられていたと認識してしまうと、自分に対する母親の無償の愛情が目減りする(母親の愛情の価値が落ち、本来得られたはずの完璧な愛情を得られなかった俺は損をしている)気がしてしまう。それを恐れていました。
母親が無償で一点の曇りもない喜びのみで俺のために奉仕してくれていないと、俺の価値が減る。そんな恐れです。
母親の犠牲という現実を本当は知っているからこそ、それは犠牲なんかじゃないんだと思いたかった。
そして恐ろしいことに、犠牲によって成り立つことを享受していた正当化のために、自分の彼女相手にも俺のためにどれだけ犠牲になってくれるかで愛情を試すような、矛盾した性格を持つようにもなっていました。
愛情なんだからそれは犠牲ではない、と証明しようとしていた気がします。
イタリアの事情を調べてからすぐにこれらに気付いたわけではないのですが、何かにつけて頭を過るようになり、数年それが重なって少しずつ(俺の感覚がおかしいのでは?)と思うようになりました。
イタリアは母強し+女性をちやほやするイメージがあったので、男尊女卑が強いのも驚きで、それらが女性を尊ぶこととは別なんだと理解した辺りから明らかに感覚が変わった気がします。
これは極端な言い方ですが、「俺の性欲の対象として君は最高に価値があるよ!」とちやほやすること=相手の価値を認めることだと思っていたので、これはダメなんだ、と理解した時は衝撃でした。
その時にやっと、自分の性欲の対象として最高だという対象を見つけた瞬間の喜び、嬉しさは一方的に俺のものでしかなくて、相手は全く喜びも嬉しさも感じない、ということを理解した気がします。
口に出して言ったことはありませんが、(俺はこんなに嬉しいのに何でお前は同じように嬉しがらないの????何で嫌なの????俺の性欲だよ???わかってる??????)みたいな感覚を漠然と持っていて、自分の性欲にとんでもない高値をつけて押し売りしようとするのに似ていた気がします。
ここに至るまでは、女性の身体的な危険の問題はそれを提示されるだけでこちらが悪者にされたように思って、理不尽な苦情だと思っていました。
結局のところ現実を直視出来ず、自分自身の自尊心の問題を他者に依存することで満たしたい、という幼稚な未熟さに、二十代も後半になってようやく気付けた…というお話でしかないのですが。
SNS等を見ていると、日本社会における女性の問題を直視するのを嫌う人たちの中には、僕のように育った家庭に問題があり、母親の愛情の対象としての自分に自信がないタイプも多そうな気がしています。
だから仕方がないとか父親のせいだとか、社会のせいだと言って自分も同じことを繰り返していたら、確実に自分自身が不幸になります。
解決するにはまず自分の問題を直視するしかないので、三好さんの指摘から効果が出ている可能性を感じています。
女性のための三好さんの呟きに乗っかるのは心苦しいのですが、これは女性の尊厳だけの問題ではなくて、男の不幸(だという思い込み)に関する問題でもあります。
社会は中々変わらなくても、個人単位で救われる人たちがいると思っています。
学生時代は得意気にセクハラ・ノンデリ発言をしていた友人知人たちも、ここ最近の性被害関連のニュース等には真顔で「令和にそれはないわ」という雰囲気になってきています。
令和じゃなくてもダメだったんだよな、とは思いますが、日本の男の価値観が改善される可能性はまだあると、ほんの少しでも思っていただけたらいいなと思い書き込ませていただきました。
そう思ってもらえたら男にとって都合がいいからではなく、男側が良くなっていければ僕の母のような被害を受ける女性が少しでも減ることになると思うので。
長々と失礼しました。
「言語化してくれてありがとう」「ほんとこれ」性差別の原因がわかったと反響も
これに対し、SNSのコメントには「>これは女性の尊厳だけの問題ではなくて、男の不幸(だという思い込み)に関する問題 本当にこれ。どうか男性諸氏、女vs男という思考にならないで、皆さんも男性ゆえの生きづらさの出どころ、この男性も書いているような「女はずるい」という感覚の出どころに向き合い、共により生きやすくなりましょう」
「男性の内面を詳しく書いた男尊女卑トピックの文章をあまり読んだことがなく、大変勉強になりました。自身の母親の犠牲を透明化してしまうところから始まるのですね…根深い…何度も読み返します。」
「この文章を読みまして、こんがらがった知恵の輪がとけるような気がしました。こういうとこから無償の愛=犠牲とうっすらみんな意識にあって、犠牲=愛となり、無痛分娩反対やポテサラ手作りせい、としょうもない話になってるのかな。女はもっと強くなり、男は恐れをなくすのが大事そう。」
と、男性目線での性差別のルーツ分析に関心の声が多数寄せられています。
また「この方のように、認知の歪みを自覚できるようになる方も居るんだな… 丁寧にメッセージを書いて下さったこの方に、お礼を伝えたいです」と従来の考え方に一石を投じる人の存在に感謝する声や、「中居氏に読ませたい」といった賛同の声も。
”幼少期の母の犠牲が「女はずるい」といった感情をつくりだしている”と分析した投稿者の男性は、最後にこう締めくくりました。
「これは女性の尊厳だけの問題ではなくて、男の不幸(だという思い込み)に関する問題でもあります。
社会は中々変わらなくても、個人単位で救われる人たちがいると思っています。
学生時代は得意気にセクハラ・ノンデリ(デリカシーのない)発言をしていた友人知人たちも、ここ最近の性被害関連のニュース等には真顔で「令和にそれはないわ」という雰囲気になってきています。
令和じゃなくてもダメだったんだよな、とは思いますが、日本の男の価値観が改善される可能性はまだあると、ほんの少しでも思っていただけたらいいなと思い書き込ませていただきました。
そう思ってもらえたら男にとって都合がいいからではなく、男側が良くなっていければ僕の母のような被害を受ける女性が少しでも減ることになると思うので。」
一人ひとりが価値観のゆがみを正していくことで、こうした男性の声も当たり前になっていく世の中に今後はなっていくのかもしれません。